Planetarian ~星の人~

2017年に観た映画の中で、正直、この作品がいちばんグッときました。
作品自体は2016年公開。
Amazon Fire TV を点けたら、なぜか、わたしへのオススメになっていて、なにげなく観始まったのですが・・・。
もう、最後のほうは、涙で画面が見えない状態に。
すぐに、もとネタのPCゲームをプレイし、
サイドストーリーのCDを息を飲みながら聞き、
原作者のノベルズまで読みました。
そして、そのノベルズのあとがきの最後の半ページに、この感動の種あかしが、あっけらかんと書かれていました。
ストーリーの着想は、
「本物の星空」を知らない瞳に、ブラネタリュームはどう映るだろう
「美しい心」を知らない心に、ロボットはどう映るだろう
だったそう。
これを読んだとき、わたしの記憶の中で、ぱっと蘇ったのが、2015年の歴史学者 Yuval Noah Harari さんのTEDでの講義でした。
「What explains the rise of humans?」
と題された講義の中で、Harariさんは、
人間が他の動物と決定的に違い、この地球で栄えることができた理由は、
人間は、実際にはないものを信じられ、それを共有して協力し合える

ことだと強調されていました。
この映画で「星の人」は、自分さえ見たことのない星空の美しさを人々に説いて回ります。まさに、
実際にはないもの(見えないもの)を信じられ、それを共有して協力し合える存在が「星の人」(=この星の人、すなわち私たち人間です)の定義なのだと思います。
そう考えると、
「ほしのゆめみ」は、たしかに中身はロボットですが、「屑屋」より、ずっと「人間」的だと思えてこないでしょうか。
生身の人間が、星空を信じられなくなり、協力し合えなくなったとき、生身の人間に代わってロボットが「人間」になってもいいのではないでしょうか。
そんなことを、つらつら考えてしまいました。
今度、プラネタリュームに行く機会があったら、投影機が「聖人」に見えてしまうかもしれませんね。(^_^;)